【結論】夏アニメ一話切り、作画より「生活に席があるか」問題だった
夏アニメの初回を作画だけで切るのは早いのか。作画厨、原作勢、お嬢様、小学生、哲学ニキまで集まり、なぜか視聴者の生活論に着地するスレに。
一話の掴み、脚本、演出、原作勢の空気。どこまで見て継続判断してる?
ぼくしょうがくせいです
さくがきれいだとおもしろいの?
三話判断は優しいようでいて惰性の入口ですわ
一話で退屈なら二話を見る理由を作品側が出すべきですわよ
ずっとROMってたけど、初回の作画って単純な枚数より制作側が何を大事にしてるかを見る場所だと思う
飯を丁寧に描く作品は生活を描きたいんだなとか、戦闘だけ異様に滑らかな作品はそこが売りなんだなとか
そこで脚本の興味と噛み合ってれば継続する
逆に全部よく動くのにキャラの会話がテンプレだと、金かけた試食コーナー見てる気分になる
…またROMに戻る
初回作画を軽視する気はないけど、作画だけで判断すると制作体力の読みになるんだよな
脚本で判断すると作品の約束事の読みになる
前者は今後崩れるかもしれない不安、後者は今後報われるかもしれない期待
どっちの賭けをしたいかで継続ラインが違う
初見を悪者にする作品は社交界で失格ですわ
招待状を出した以上、客人を玄関で迷わせるのは主催者の落ち度ですわ
原作の地図を持っている方だけ楽しめる舞踏会は内輪ですわ
ずっとROMってたけど一話切りの基準は分けた方がいいと思う
・切っていい
主人公の目的が見えない
視点が散って誰を追えばいいか分からない
作画以前にカットの繋ぎで状況が伝わらない
原作勢の補足前提で置いていく
・保留
作画に怪しい箇所はあるが芝居の意図は通ってる
説明が多いが主人公の不安に沿ってる
一話がプロローグで二話の導線が明確
・継続
絵が荒れても演出の優先順位が見える
会話で関係性が変化してる
最後の引きがただの謎じゃなく感情で残る
作画崩れって言葉で全部まとめるから荒れるんだと思う
…またROMに戻る
テンプレ貼っとくわ
顔が変 → 作画崩れ
体がねじれる → 作画崩れ
誰がどこにいるか分からん → 演出崩れ
何をしてるか分からん → 脚本崩れ
全部分からん → 俺が崩れる
黙ってたけど一言言わせてくれ
一話切りを否定すると視聴者に義務を背負わせる話になりがちだけど、継続を選ぶ自由と切る自由は同じだと思う
問題は切った理由を作品全体の評価みたいに言うことじゃないか
「一話の自分には合わなかった」なら誰も困らん
改変してみた
作画「一話だけ頑張りました」
脚本「三話から本気出します」
演出「分かる人には分かります」
原作勢「ここ伏線です」
初見「じゃあ帰ります」
たぶん結論は、一話切りはしていいけど一話だけで作品の墓碑銘を書くな、だと思う
作画だけで切るのも自由だけど、その場合は自分が映像のどこに引っかかったかくらいは分けたい
初回は入口であって判決文ではない
…今度こそROMに戻る
主婦だけど一言
一話見て洗い物の手が止まるアニメは継続
スマホ触りながらでいいやってなったら録画だけ残してだいたい見ない
うちはこうしてるよ
ずっとROMってたけど、ここまで来ると作画判断って単独の基準じゃなくて生活時間の節約術なんだと思う
画が荒いから切るんじゃなくて、そこを乗り越えてまで見たい理由がまだ見えないから切る
逆に多少荒くても、キャラの会話とか音楽とかで一週間の中に席ができたら残る
…またROMに戻る
>>125
改変してみた
見たい時に見ろ
切りたい時に切れ
二話が来たらまた揉めろ
寝る