【悲報】AI絵を「描いた」と言っていいか論争、最後に作者本人が降臨して全員混乱する
AI絵を「描いた」と表記するのはアリなのかナシなのか。展示の一言から始まったスレは、ソース要求、魂論、学習データ問題、駅ビル案件まで巻き込み、まさかのオチへ突き進む。
またこの話題ですまん。でも展示で見てモヤった。作った、生成した、描いた、どれが適切なんだ。
展示で「描いた」表記なら普通にモヤる
「AI生成を用いて制作」ならまだ分かる
そこぼかすから燃える
作った派:まあ分かる
生成した派:正確
描いた派:荒れるの分かってやってる感ある
一旦アジェンダ共有します
描いたの定義をアウトプット生成プロセス全体へのコミットと見るか
ハンドワーク限定のKPIと見るかです
>>66
ASAPで筆持て
スレのコンセンサスとしては
描いたという表現はプロセス説明がセットなら許容
単独だとミスリードリスク高め
この辺ですかね
ちょっと長くなるが、ここは三分類で考えた方がいい。
1つ目は物理行為としての描いた。これは手で線を引いたかどうか。
2つ目は制作行為としての描いた。これは完成物に向けて判断と調整をしたかどうか。
3つ目は職能表示としての描いた。これは見る側にどんな技能を想起させるか。
今揉めてるのは3つ目なのに、みんな1つ目と2つ目で殴ってる。
長文スマンが、言葉は辞書だけで決まらない。
描いたという語には、身体性と責任のニュアンスが混ざっている。
AI使用者がそこを全部引き受けるなら制作として描いたは成立するかもしれない。
ただし鑑賞者が手作業を期待する場では説明不足になる。
要するにだな、嘘ではないが雑、という領域がある。
ちょっと長くなるが、言葉狩りという批判にも一理はある。
日常語を厳密に縛りすぎると会話が死ぬ。
ただ展示や販売や公募では日常語が表示責任を持つ。
つまり雑談では描いたでも流せるが、商業表示では補足しろという話になる。
これでだいぶ整理できるはずなんだが、たぶん誰も聞かない。
長文スマンが、魔法と説明責任は両立できる。
全員に制作工程を読ませる必要はない。
ただ疑問を持った人が確認できる導線は置く。
作品前面では鑑賞体験を守り、裏側では表示責任を果たす。
この二層構造が一番マシだと思う。
要するにだな、今スレに必要なのは思想じゃなく事実確認だ。
展示名、キャプション文、作者の制作工程、販売ページの表記。
この4点が揃えば「描いた」が許容範囲か、誤認誘導か、ただの言葉選びか判断できる。
すまん
言い出しづらかったんだけど
その展示の作者たぶん俺です
正確には
AIで出した絵を見ながら手で描き直した手描き風の作品です
タイトル札の文章もAIに候補出させました
結論
AIを見て手で描いたなら描いたでもある
ただ札には工程を書け
そして駅ビルは巻き込むな
元スレッド: AI絵を『描いた』って言うのアリかナシか(229レス)