【悲報】秋映画の記憶、名作補正ではなく未練の保存装置だった
秋に観る映画がやたら心に残る理由を語るはずが、気づけば文化祭、元カレ、未提出レポート、映画通の黒歴史まで発掘される展開に。夕暮れの余韻から始まった考察スレが、最後はほぼ裁判になっていた模様。
気温なのか、日暮れの早さなのか、文化祭の記憶なのか。おすすめを挙げつつ分析してくれ。
ちょっと長くなるが、日暮れが早いと映画館を出た時点で現実側がもう暗い。nここで作品の余韻と外の空気が接続される。n夏だと外が明るすぎて、冬だと寒すぎて、秋だけちょうど逃げ場がない。
要するにだな、秋に観た映画は作品名より生活の断片に紐づく。n受験前、文化祭後、衣替え、少し寒い帰り道。n『ジョゼと虎と魚たち』を観た時期まで覚えてるのは、話よりも自分の逃げ場のなさが近かったからだ。
ロジックツリーで見ると、秋映画記憶説の上位概念は「移行期の記憶」だと思う。
夏→冬、学生→受験生、恋人→他人。
映画は移行の証拠品になる。
>>62 余韻が死ぬというより、別の情報で蓋をされるんだと思う。
秋の単館系映画館から細い道に出ると、蓋がない。
風が冷たい、店が閉まりかけてる、駅まで妙に遠い。その全部が映画の続きを勝手にやる。
>>86 それはかなり映画的。人間は記憶を再生してるんじゃなくて毎回再編集してる。
だから秋の映画体験は、映画そのものより上映後の生活音が編集点になる。コンビニの照明、校門の暗さ、部室の匂い。
>>95 それ、面白いのは「映画を観た日」じゃなくて「映画館から戻った場所」が記憶の核になってる点だな。
つまり秋映画記憶説の中心は上映中じゃない。上映後に世界が少しだけセット化することだ。
>>116 それは完全にこのスレの核心だと思う。映画の筋は忘れるのに、袖の距離は残る。
つまり秋映画は物語を覚える装置じゃなくて、自分が何を保留したかを覚える装置なんだよ。
長文スマンが、>>126の「未完了を保存する説」はかなりしっくり来る。
秋って気温も光も中途半端で、夏みたいに終わった感がないし冬みたいに閉じた感もない。
その半端さの中で映画を見るから、自分の中の言えなかったことまで一緒に保管されるんだと思う。
ここまでのまとめ
秋: 終わりきらない季節
映画: 終わった形をしてる媒体
観客: 終われてないものを持ち帰る人
ちょっと長くなるが、秋映画の怖いところは記憶を美化することじゃなく、未処理のまま丁寧に梱包することだと思う。
忘れたわけでも解決したわけでもない。
ただ、夕暮れとエンドロールでそれっぽい箱に入れられる。
>>157>>158
恋愛に矮小化するのはやめろ。
ただ、秋の放課後に映画研究部の上映会で『気狂いピエロ』を選んだ判断が最適だったかは今でも検証している。
>>162
前の彼氏が映画研でさ、秋の上映会でゴダール選んで振られた女いたって聞いたことある
その人、別れたあとも秋になると映画の話だけ妙に理屈っぽくなるって言ってた
マジレスすると過去ログあったぞ
雑談板 2019/10/18
映画研の女に気狂いピエロ見せたら連絡途切れたんだが
スレ主ID: AkiCinema1
>>176
男ってさぁ…
主導権を返したつもりで地雷原に置くよね
前の彼氏も見終わったあと、どうだった?じゃなくて解釈は?って聞いてきた
>>180
要するにこのスレの結論は秋映画じゃなくて未練なんだよ
>>1が分析してくれと言った時点で供述は始まってたに決まってるだろ
全員解散、間違いない
元スレッド: 秋に観る映画が妙に記憶へ残る理由を考える(181レス)