【名作】秋の夕暮れ、ただのオレンジ背景じゃなかった…映画通たちの考察が深すぎる
映画で秋の夕暮れが映るだけで、なぜか名作っぽく見えてしまう理由を語るスレ。最初は色味の話だったのに、駅・踏切・帰れない記憶・もう会えない人の話まで広がっていく流れが完全に一本の映画。
色味なのか、終わりの予感なのか、登場人物の距離感なのか
具体例を出して考察したい
要するにだな、昼は行動の時間で夜は結果の時間なんだよ
夕暮れはその中間だから、まだ何かできそうなのに実際はもう遅い
この「まだ間に合う気がする絶望」が名作感の正体かもしれん
ちょっと長くなるが、逆光はかなり大事だと思う
人間は顔を読んで感情を判断するけど、夕暮れの逆光はそれを奪う
だから人物の本音が見えないまま、風景だけが妙に感情的になる
このズレが名作っぽさを作るんじゃないか
長文スマンが、踏切の良さは「向こう側が見えてるのに行けない」ことだと思う
夕暮れで残り時間が少ない
踏切で移動も止められる
その間に言うべきことを言えない
これだけで別れの準備が完成する
ここまで見ると、秋夕暮れは単なる綺麗な背景じゃないな
逆光で顔を隠す、駅や踏切で移動を止める、帰宅の時間で孤独を浮かせる
名作感って、画面が人物より先に別れを知ってる感じなのかもしれん
テンプレ貼っとくわ
名作夕暮れ三点セット
・まだ笑ってる
・でも足は止まってる
・背景だけ帰宅を始めてる
これでだいたい観客は死ぬ
>>78
子供の頃の「帰りたくない」と、大人の「帰る場所がない」が同じ夕方で重なるのかも
それなら名作感って綺麗さじゃなくて、観客側の記憶を勝手に開けられる感じだわ
ここまで整理すると、秋夕暮れの名作感は三層ある
まず色味で視線を引く
次に帰宅時間の記憶で終わりを感じさせる
最後に人物の明るい声や微妙な距離で、別れをまだ別れとして言わせない
つまり秋夕暮れは、別れを隠すために一番自然な背景なんだと思う
>>101>>102
要するにだな、秋夕暮れの名作感は作品側の技術だけじゃない
観客の中に、すでに未編集の素材がある
映画はそれを勝手に編集してくる
だから同じ場面でも、人によって泣く場所が違う
おじさんだけど、父親のこと、思い出したよ(^_^)
昔、日曜の夕方に、映画を見終わって、父の車で帰ったことがあってね。
西日が、フロントガラスに当たって、父は何も言わずに運転してた。
その時は、退屈だなあ、って思ってたんだけど、今は、あの沈黙に、もう一回会いたいんだよね(笑)いや、笑えないけど(汗)
要するにだな、秋の夕暮れシーンが名作っぽいのは、物語を終わらせるからではない
むしろ終わらなかった感情を、画面のどこかに残すからだと思う
人間ははっきりした結末より、言えなかった一言や帰れなかった夕方を長く持ってしまう
映画はそれを責めずに、窓辺の光として置いてくれる