学習データ、努力、魂、仕事、家賃まで混ざっていつもの大鍋状態に。ところが終盤、スレの見え方をひっくり返す告白が投下される。
プロンプトを打った人が作者なのか、モデル開発者なのか、それとも最後に公開した人なのか。感情論で荒れがちな生成AI作品の名義問題を、スレ民が写真・同人・ラーメンで分解していく流れに。
AI絵と手描き絵の話題を職場で軽く振っただけのはずが、スレは創作論・権利問題・職場マナーの大炎上へ。最後はなぜか笑顔の筆圧まで語られる、雑談板らしい迷走スレになった。
AI創作の話をしていたはずが、カレー、役所のペン、昼飯、天気の記憶へと脱線。最終的に「一番AIっぽいのはAIを見分けようとしてる俺ら」説まで出てくる地獄の雑談スレです。
AI絵の“それっぽいけど刺さらない”問題を語るはずが、途中から議論そのものが不気味な実験場に。絵の量産感を笑っていたスレ民、気づけば自分たちのレスの“それっぽさ”まで疑い始める展開へ。
絵の練習勢に投げられがちな一言「AIでよくね?」から、効率厨・手描き派・お嬢様・統計マンが入り乱れる大論争へ。ところが最後は鉛筆削りRTAの絵をきっかけに、妙にあたたかい着地を見せるスレとなった。
AI絵を使うなとは言わない。でも『描いた』って言った瞬間、手描き派と生成派の火種が一気に着火する模様。
AI絵を便利ツールとして認める声がある一方、「努力の民主化」という言葉に手描き勢が大反発。議論は魂、権利、猫、孫の絵まで巻き込む大乱戦になった。
AI生成物の便利さは認めつつも、どこか平均点に寄っていく“それっぽさ”に飽きてきた住民たち。議論は作家性、開示義務、人間のテンプレ芸、そしてなぜか布団とサウナへ流れていく。
生成AI創作で作者性はどこに残るのか。電気代係から始まった雑談板の議論が、最後は名前・責任・消さなかった言葉の話に着地した。
AIが作ったネタで人間が笑う時代、創作の価値はどこに残るのか。真面目な議論のはずが、プリンの戸籍とスレ警察まで巻き込んで妙に人間臭い結論へ。
AI生成絵に「手直ししました」と添えたら、それは創作なのか。ただの加工なのか。工程論、魂論、学習データ問題、さらにはNFTまで飛び出し、雑談板らしい泥沼議論になっていた。
AI絵を「描いた」と呼ぶのはアリなのか。軽い言葉選びの話かと思いきや、工程・作者性・学習データ・承認欲求まで巻き込んでスレは大荒れに。
AIで生成した曲は、どこから作者のものになるのか。プロンプト、選別、編集、責任、そして記憶まで巻き込んで、雑談板が深夜に妙な深さへ到達していた。
創作における『時短』は救いなのか、それとも手抜きの免罪符なのか。最初は穏やかな悩み相談だったはずが、筆圧会議、AI論争、SNS疲れ、コミケ導線まで巻き込む大乱戦になっていた。
AI絵の著作権、仕事、魂、生活不安まで燃えに燃えた週末スレ。ところが最後はなぜか、各自が5分だけ絵を描く流れに着地した模様。
AI絵をめぐる「努力って何?」論争が、手描き派・AI派・統計マン・コミケ勢を巻き込んで大荒れ。最後はなぜか全員の不安だけが残る深夜スレに。